人の持つ倫理観とは何なのだろう?

誰しも自分の親や学校で教育を受けてきたと思う、学校に通えない人も何かしらの道徳的主観を持った人と接していると思う。
ある学校で物を盗むのは悪いことである、と教わるとする。
恐らくその学校の生徒の大半は物を盗む=悪いと思い、物を盗まず真面目に過ごすと思う、しかし中には天邪鬼で人の逆をゆく者も居る。
当然人間が主観や倫理観を形成するのに必要なものは学校や親だけではない、ありとあらゆる経験がその人の意志を作るものである。
過去に虐待を受けてしまったトラウマが有りひねくれ者になってしまったという人も居る、しかしよくよく考えると、何かひどい仕打ちを受けたからと言って非行に走る必要は無いのではないだろうか?
むしろ仕打ちを受け辛い想いをしたからこそ人の痛みを理解できる良心を持った子供に成長する方が道理にかなっているようにも思える。
こう思うのも私の主観であり、賛同しない人も沢山いるだろう。
大抵の人は無駄な殺生を動物が可哀そうと言い良しとしない。
片や生きる為に必要な摂食活動に於いては幸せそうに動物の肉を食べている。
生きる為に肉を食べた、これは道理に叶っているのだろうか?
仮に人間の人知を超えた普遍的な倫理が有ったとして、無駄な殺生と生きる為の殺生に差は有るのだろうか?
悪戯に動物を殺めている人間を、普段の食事で動物の肉を食べている人間が冷ややかに謗る資格は有るのだろうか?
無駄な殺生も生きる為の殺生も動物にとってはこの上なく理不尽なのに。
また、殺生される必要がないからと保護される動物と人間の摂食活動に必要な殺生だからと殺められる動物に分けるのは人間が大嫌いな差別と捉えることはできないだろうか?
かく言う私も肉は食べるし大好物である、しかし自分勝手な主観を押し通そうと「肉を食べるのは生きる為だから良い」と言うのは気が引ける。
人間とは殺生が駄目なことは分かっていても食べないと自分が死んでしまう、そんな思考との間で葛藤されるも欲を通し、挙句の果てには「生きる為」と正当性を故事付ける無責任で身勝手な生き物だと割り切り開き直るしかないと思う。